コラム 百葉箱
新生、共生 編集顧問  中野幹久
(12月28日)

 「江戸しぐさ」は、いわば江戸の人たちの公共マナー、相手を思いやる心から生まれたという。
 たとえば「傘かしげ」は、雨や雪の日にすれ違うとき、しずくでぬらさないよう配慮した。「時泥棒」は、突然訪問することで、手紙などで都合を確かめた。 「こぶし腰浮かせ」は、席が込んできたら、こぶし一つ分詰めた。(『クロスワードDay』誌)
 往時のこまやかな心遣いを感じるが、欧米人の目にはどう映ったか。幕末や明治期に来日した外国人の多くの見聞記を詳説、和辻哲郎文化賞を受けた渡辺京二 氏の『逝きし世の面影』(平凡社ライブラリー)がある。著者は在野の思想家だ。
 その目は混浴や行水の習慣、裸の姿、性風俗などに驚き、女性たちのお歯黒、おしろいのべた塗りの風習を嫌悪した。一方、子どもの楽園や自然と親和した暮 らしの風物をたたえている。
 無邪気で明朗、人がよく親切という特性が深い驚きを与えた。英国の詩人エドウィン・アーノルドは「日本には、礼節によって生活をたのしいものにするとい う、普遍的な社会契約が存在する。誰もが多かれ少なかれ育ちがよいし、『やかましい』人、すなわち騒々しく無作法だったり、しきりに何か要求するような人 物は、男でも女でもきらわれる」と述べた。
 著者はここで「在りし日のこの国の文明が、人間の生存をできうるかぎり気持のよいものにしようとする合意と、それにもとづく工夫によって成り立っていた という事実だ。ひと言でいって、それは情愛の深い社会であった」と考察する。
 「在りし日」とされるように、外国人たちは古い日本文明の滅亡を目撃した。英国人宣教師のウォルター・ウェストンは大正末の著『知られざる日本を旅し て』で、「昔のように素朴で絵のように美しい国になることはけっしてあるまい」と書いた。著者はそれを「風景のうちに織り成される生活の意匠」という。古 いものは捨てられた。
 生活、環境は著しく変化してきた。それに伴い特性とされた礼節、情愛の深さは遺伝子から断ち切れたかと思わせる世相だ。世界同時不況の進行という深い谷 で社会不安の増幅、人心の荒れが気になる。「新生」と「共生」の時代でありたい。